メコンの思い出(孤帆「エッセイ」奨励賞:2003年11月)
チベットを源にしベトナムのデルタに流れるメコンが好きだ。中国ではランソウ河(瀾滄江)と呼ばれている。中国国内には長江、黄江、国竜江、珠江の4大河があり、多くが青海・チベットを源にしている。6カ国を流れるメコン河(川)のすべてを見た。雨季には驚くほどの水量であるが、乾季には泳いで渡れるのではないかと思う。河の中にできた島にはフランスが植民地時代、物資輸送のため軽便鉄道を島内に作った跡もある。河の近辺の人々の生活資源は魚である。
メコン河の神秘は段々明らかになってきた。そして中国からの船舶輸送の延長やダム開発利用も検討中だ。そこで私が触れたメコン河の姿を4つ紹介する。
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一つ目は、メコンの国境を無断で超えた経験である。タイ東北部のノンカイからラオス側にオーストラリアが橋を無償援助した。それ以前は、船で渡るのが普通。夕方の7時頃タイ国鉄の終点ノンカイ駅からサムロット(人力三輪車)に乗って着いたのは港。そこから船で5−6分でラオスの首都ビエンチャンの郊外に着いた。特に出入国管理事務所もなく、そこで三輪自動車のタクシーに乗って市内にでた。「順調に入国できておかしい」と思い、翌日ホテルから日本の大使館を聞いて行った。「航空券を持っていてもやはり密入国だ」と書記官から大目玉。第二次世界大戦の残留元日本兵のRさんに国境を再度密出国できる紹介状をもらい、河を又戻り再び鉄道でバンコクに戻った。
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二つ目は、ベトナム戦争中、メコンデルタへ取材に行った。ここは米が豊富な土地である。チベットから流れ流れてきた肥沃な土壌のデルタが延々と続いていた。2期作3期作は当たり前。昼間は外を自由に歩けた。しかし夜間は解放戦線の土壇場である。広々とした水田には隠れる場所はないが、夜は大砲の音に怯えながら寝た。翌朝のご飯はインデカ米だった。最高に美味かった。
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三つ目は、黄金の三角地帯(サンリアントーンカム)の河川を自転車で辿っていった。以前、タイ・ミャンマー・ラオスの国境のメコン河にバスでいった。今度はチェンライ市から自転車でチェンセーン市経由、メーサイ市にいく陸の黄金の三角地帯ルートを目指した。15年ぶりだ。そこで見たものはタイ側に難民のように流れてきて掘建て小屋を建てて住んでいたラオス人たち。言葉は類似しているが地名にラオス語標記もあった。メーサイ市にはメコン河から段々離れ急坂を登ったり降りたりの難所に四苦八苦しながら着いた。着いたとこには20mくらいの川があった。正式のタイとミャンマーとの国境事務所だ。そこはメコンの支流であった。
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4つ目は、カンボジア戦争中会った一之瀬泰造カメラマン。プノンペンのトンレサップ湖にも繋がる、広く大きいイメージと水の色も変っていたメコン河。戦場のカメラマン一之瀬泰造は、「砲弾を積んだ外国船に乗ってプノンペンに着いた」と言っていた兵。彼に出会った1週間後、アンコールワットへ取材に行ったが行方不明になった。後に解放戦線に殺されていたことが判明。勇気ある本物のカメラマンだった。