さいたま市民文芸 第4号「エッセイ部門」入選
2005年10月
個人僧坊
「<プライベートクテイ>をつくる日本人はいないですか?土地は無償です」と、時々瞑想修行に通う寺の僧正に言われました。そこはタイの山寺で町から5キロ程離れ、村からも1・5キロ離れた電気もない高原地にあります。タイの僧侶たちには、出家するときは親や保証人たちが寺に幾分かの寄進をするのは習慣です。しかし僧侶の住む住まいに対し費用負担をする必要はありません。粗末な小屋で充分との仏陀の教えからです。
「分かりました。探してみましょう。ところでいくらですか?」との質問に…・。「タイバーツで10万バーツ(約30万円)でできます」と、その安さに驚きました。
「それなら周辺整備費をいれ日本円で35万円、トイレと簡単な炊事場が用意できるのならいいでしょう」と、言うことで決まりました。
僧坊(クテイ)とは[僧侶のための住まい]ですが、すでに2棟タイ人信者用の[宿坊]が完成しています。一棟は、個人で瞑想をするために建てた年配の男性信者。もう一棟は、女性の信者で、タイではメーチー(尼僧)とも呼ばれている2人ぐみの棟です。それをアナントー僧正は、英語とタイ語の組み合わせ造語で<プライベートクテイ=個人僧坊>と、名付け金持ち日本人に焦点を当てたようです。
日本に帰りPRチラシを作成し、郵便やFAXそしてe−mailなどで約70人ぐらいの人に送りました。そのうち反応のあったのは3人だけでした。
現地まで見に行ったのは、無料航空券のある33歳の航空会社のスタッフだけで、後の2人は希望意思と決断とは大きく違っていました。結局誰も話しに乗りませんでした。「お金がない、遠いので・・」が3人の断る理由でした。
私は、この寺から約10キロ離れた村に高倉式家屋を1999年に購入し、改築後年に数回長期滞在をしていました。が、なかなか村民の意識に馴染めず大変住み心地が悪くなってきました。そのためここを処分して安心できる寺の中に別宅を建てられたら…・。と、何回か寺で修行するうちに思い誰も希望者が居ないなら「私が」と、決心しました。
間取りは5畳半が2室、3畳の台所、シャワー・トイレ室の4室。「数ヶ月後完成する」、とのことでしたので5ヶ月後出かけたら、まだ7割方の進捗状態。その上物価の高騰という口実で70%アップの合計22万バーツ(約64万円)を再提示してきました。すでに工事が完了した領収書と未完成部分の見積書を見せてきました。
「総経費のうち、人件費が34%と多いが25%ぐらいに下げられないですか?」部品名などのタイ語はよく分からないが、マンパワーの領収書だけは目立ちよく分かった。
「それならすべてで21万バーツ(約61万円)でお願いします」、「やりましょう」で、まとまりました。
本心は、「この僧正のビジネスにひっかかったかなあー」との思いが頭に横切った。この僧正は、僧侶になる前は会計士であったことを思い出しました。15年前にこの寺を一人で開山し、寺院事業として成功させるためにいろいろな祈祷紛いの信者集めをしていたのはうすうす気がついていました。新規僧坊計画もその拡大戦略で「使わなくなったら僧坊を寄進してくれ、<「個人僧坊」>の余剰セメントを仏塔(チェデイ)に使わせてもらってもいいか?」と、正直に言われ、了承した経緯がありました。私がタイ語で建築の契約書を書いてサインを求めたら簡単にしました。書面合意というより信頼関係であり話しは成立しました。
この寺は、タイの宗教区分からみて、一般の寺とは言えません。タイには宗派が2つあります。そのいずれにも属していない、いわゆる一匹狼の寺院で「アナカリック」と呼んでいます。訳すと[真理を求めた者の住む家]と言い、2548年以上前の仏陀の時代インドにあった形だそうです。タイにもわずかあります。
ここの村は戸数約200、人口約600名の農業中心の村ですが、著名人は有名な彫刻家が一人いるだけです。そんな村に寺院が2つもあり、郊外にアナカリック、そして洞窟を修行場にしている僧侶が別に一人います。
この寺院(アナカリック)の特徴を紹介する前に私のタイ仏教修行暦の事も述べておきます。
50歳から休暇をとって短期間であるが、タイのあちこちの寺院に泊まり、瞑想をはじめ寺院生活を体験させてもらってきました。その後縁があってバンコクの大規模寺院に1年間出家、引き続きタイ北部のこの地に通算2年間通いました。出家中に旅したときも、このような山寺を中心にラーマ4世モンクット王の創立した戒律厳格派であるタンマユット派と呼ばれる山の中の寺に魅力を感じていました。どちらかといえばタンマユット派に近いこのアナカリックに出会い、「これぞ本物のタイ仏教だ」と、強く感じました。
この寺院には当初僧侶は3人いました。僧正以外の出入りは激しく行くたびに増えたり減ったりしています。つまり短期出家者であったり、他の寺から教えを請いにきている僧たちでした。親しく話す38歳で出家暦10年のチャナタッサノー僧は、700年以上の歴史がある山の寺からこの寺にきて、アナントー僧正とともに修行をし、数年間過ごしています。実姉も近くの尼寺の代表で、よく人生や人間哲学を2人で話し合っていました。このチャナタッサノー僧の紹介で地域のタンマユット派が毎月行う新月と満月のパテイモック(戒律の確認儀式)に2回同行させてもらいました。本当に奥深い山の寺で、毎日1回の食事を托鉢で得て、手作りの僧坊での生活をしています。これぞ本物の仏教だろうとの確信をますます強く持ちました。
寺の一日は托鉢から始まります。[行きはよいよい、帰りは重い]ので現在は信者の自動車で送ってもらい帰ります。この寺の僧侶たちも同じです。歩けば1時間ほどかかりますが、車なら約10分です。早ければ8時半ごろに戻り、9時前に食べますがこれを過ぎることも度々です。電気がないので保存も出来ず、又戒律上当日食べなかったものは捨てなければなりません。平均5人分は托鉢で得るので、毎日捨てています。私がバンコクの寺にいたときには、余った食べ物は捨てずにチャオプラヤ川のゴミ収集船の人たちにスリランカ僧帰国の後を引き継ぎ渡したり、門前町の売り子たちにあげていました。山の寺では寺の仕事を手伝ったりする人や寺にきた子供たちにも食べさせています。滞在中私ももらいます。タイでは食べ物に不自由することはなく、ただでよくご馳走になる機会があります。一度小さなホテルで盗難に合い被害届を警察へ届に行ったとき、昼食時間にぶつかり警察官たちが買ってきた弁当を署内で一緒にご馳走になったこともあります。
食事の後は、自分の勉強と寺の作業があります。そして夕方の庭掃除と祈りがあります。ろうそく生活ですが瞑想には最高の環境です。瞑想は本堂や洞窟瞑想場そして自坊など気に入ったところで鳥の鳴き声を聞きながら出来ます。「素晴らしい環境」の一言です。
僧たちは早寝早起きで、タイ人たちは朝も水浴びをします。そして木々の落ち葉を掃き清めます。何と言っても静かで、自然の木々や鳥、とんぼや蝶などの昆虫たちと生活をしている実感はここでしか味わえないものでしょう。
ここはバンコクに比べ気温が7−8度以上は涼しく、タイで一番の最低気温の記録があります。乾季は一桁の温度で、湿度もぐーんと少ないです。とくに12−2月は長袖、長ズボン着用、その上ジャンバーはもちろん、焚き火をしている村人も居ます。日本の晩秋か初冬のようです。しかし昼間は夏に近い25度以上が普通です。そのため果物は豊富で、花も綺麗です。寺院内にも果物の木々が多いですが、僧侶は取って食べてはいけない戒律なのでそのままです。
<個人僧坊>の裏手と勝手口の横は岩場。入口は、木々に囲まれています。日が当たらない時は一段と気温は下がり、雨季のはじめの4−5月でも朝晩はぐっと冷え込みます。コンクリートの個人僧坊は外部温度より3・4度以上は違います。
タイ仏教は生きるための前向きな考えをもっている宗教です。そんな癒しの場に<個人僧坊>を確保できたのは人生の幸せと言えるのでしょう。