琉球泡盛とラオロン(廊酒)<要約>・・交通論叢第10号:2000年6月

―異文化交流が結んだ酒比較文化考―

 

1、はじめに

このレポートは、1999年6月に琉球大学で開催された第79回日本観光学会での報告をベースにまとめたものである。沖縄のデータは、東京に泡盛の製造メーカーの営業所や泡盛愛好家で作られている「東京泡盛会」があり、会員の方々に協力をいただいた。又、タイにも足を運び、取材とアンケートに協力をいただいた。残念ながらタイの酒造会社の見学取材は断られた。沖縄の歴史学者である東恩納寛惇には泡盛やアジアとの交流史の研究論文に大変影響を受けた。戦前の著書であったが、毅然と泡盛はタイ来歴・到来説を唱えられた。一部中国来歴・到来説もあるが、琉球王朝時代の「歴代宝案」にはシャムとの交易品に[酒―香花酒、椰子香花酒]の記述がはっきり書かれている。

 

2、泡盛文化交流略史

琉球王朝時代(1187―1879)のアジアとの交易では、アユタヤ王朝(1350―1767)には長期間にわたり、一番多く58隻の琉球交易船(1420年から1570年迄)が行っている。その中で王朝ビジネスだけではなく広く文化的な影響を与えたものが多々あった。そのひとつが「酒」である。約600年前にタイのラオロン(廊酒。ラオカーオとも現在は言う)が泡盛に繋がった(なった)。との説を東恩納寛惇は、論文の「泡盛雑考」や「南洋各地との交渉」で論じた。大正時代から日本政府は、[泡盛]のためシャム(当時)から特別に米(但し砕米)の輸入を認めていた。このタイ米と黒麹菌によってはじめて[沖縄・琉球泡盛]が作られ、合致した伝統的な味であった。と言われている。この酒は、中国からの冊封使のもてなしの酒であり、交易船の船員の癒しの酒であった。今は観光客のもてなしの酒である。

(泡盛の命名は、製造工程上の泡説、材料の粟説、言葉の訛り説以外に、薩摩命名説もある。)

 

3、沖縄とタイの地酒事情実態調査(各国3ヶ所、タイ23名、沖縄48名合計71名からのアンケート)

*沖縄――アンケートを取った愛酒家に占める泡盛のシェアーは高い。[タイ米による製造]の事を知らない人が4割もいた。と同時に[泡盛の歴史]をわからない人も3割いた。今後もっと[泡盛を改善・発展させる]ための設問には、4割の方がPR不足、3割の方が臭いを減らす事をあげている。「臭いを減らす」ことを含み、製造技術の向上、メーカーの統合、競争力の向上を加えると、8割がもっといい酒を期待していることが分かる。一方、値段の高さを指摘している人が少ない。南九州の焼酎に比べても2割り方高いし、麦焼酎と比べると4割高い。これは、調査が泡盛愛好者対象であったのと沖縄の人に片寄った為と思われる。

*タイ――ラオロンのタイでのシェアーは少ないようだ。北部・東北部には愛飲家が多く、地方の女性に愛飲家が多いのが特徴だ。又、仕事柄肉体労働の人たちの癒しの酒のようだ。ラオロンを飲む人の一番多かった銘柄の酒「ルアンカーオ」の値段は80バーツ(約250円)であるが、高いとの声は少ない。泡盛との繋がりは、全く知らない。好き嫌い(6:4)双方の主な理由は、[薬草との調合にいい。食事が美味しい。早く酔う。よく寝られる。]の一方、[臭い。翌日頭が痛い、強い。]の声がある。今後は、「技術の向上、品質の指導と研究」を8割の人が求めている。

 

4、まとめ

沖縄工業技術センターでは弛まぬ品種改良の努力が続けられている。もちろん各メーカーも自助努力をしている。ただまだ、沖縄の各協同組合や県レベルでの統計・調査資料が不足していた。しかしタイでは価格の安いラオカーオがでている。お互いの「酒=ラオ」が安く・美味しい地酒から国民酒になるよう祈っている。

 

[アンケート結果の図表及び泡盛史と沖縄の酒事情の図表を掲載できませんでした。泡盛読本(まぶい組刊)、日本の酒(坂口謹一郎著)、焼酎の辞典(菅間誠之助著)などの著書を参照下さい。]

 

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