テーラワーダ仏教に学ぶこと
タイ日本寺院僧侶・松下正弘師に聞く
インドから中国・朝鮮を経て日本に伝わった仏教は人々の救済を説く大乗仏教。一方、南アジアから東南アジア一帯には、悟りを求めた釈迦本来の教えを受け継ぐテーラワーダ仏教が社会に根付いている。在家からタイの寺で修行し、現在はタイに初めての日本寺を開いている松下正弘師に、テーラワーダ仏教の魅力を聞いた。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
――最近、日本の若い僧、特に在家から僧になった人たちの間で、テーラワーダ仏教(上座部仏教)への関心が高まっている。日本の寺ではあまり行われていない修行ができる、というのがその理由だ。松下さんがテーラワーダに関心を持ったのは?
仕事の関係でよく行っていたタイの仏教に40代から関心を持つようになり、50代になってからバンコク市内の寺院で年に数回、短期の出家を体験した。タイでは紹介があるとどこの寺でも受け入れてくれる。本式の出家の際は千葉県にあるパクナム寺日本別院で、事前の研修を受け、日本語が少しできる僧にお世話になった。現役中は、長くても1週間程度だったが、退職後に1年間半、出家して修行した。
私がテーラワーダに強く引かれたのは、第一に瞑想の素晴らしさだ。タイ仏教では静寂な自然の中での瞑想が重視される。もう一つは、僧が人々から尊敬されていること。毎朝、夜明けと同時に托鉢に出ると、人々が待っていて食べ切れないほどの食事を寄進してくれる。出家前には私は僧たちの後ろを、俗人の姿で付いて行った。Tシャツでもいいが裸足が原則。30分から長くても1時間半で鉢がいっぱいになる。
私の指導僧は人気があったので、ほぼ毎日、托鉢行をしていた。信者から自宅に寄ってほしいと、事前に連絡が入ることもある。田舎では、前日に少年僧が知らせて回る寺院もある。また弁当箱を戸口に置いておくと入れておいてくれたり、どらを叩いて托鉢を知らせたり、寺によっていろいろな托鉢行がある。
民衆の間で、功徳を積めば福が巡って来るという意識が、小さい頃から培われている。
――一般の人はどのように出家体験するのか。
短期出家は数日から1週間くらい。タイの人たちは若い頃に3カ月の出家をすることが多い。その間、寺で仏教のもろもろと瞑想三昧の生活を送る。そして、仏教の教理と歴史、パーリ語経典の解釈を学ぶ。私が修行したパクナム寺は最高では僧が250人、尼僧が150人もいる大きな寺で、その仏教学校には周りの小さな寺からも修行僧が勉強に通ってくる。
――坐禅や観想とテーラワーダの瞑想は同じか?
いずれも釈迦が行った修行から始まっているので、基本は同じだと思うが、スタイルは違う。タイの中でも、寺や指導僧によって少しずつ異なっている。最近は、ミャンマーから来た僧のいる寺が人気で、本気で修行したい人が集まっているという。タイは新聞やテレビよりもうわさの方が早く伝わる。
テーラワーダの瞑想はパーリ語でヴィパッサナー瞑想と呼ばれる。 「今の自分を、ありのままに、よく観る」という意味で、「気づきの瞑想」「洞察の冥想」とも言われる。釈迦が行った修行が、2500年の時を経て今に伝えられている。
自分を見つめるのは、自分の中に仏を入れるとも言われ、私はバンコクのパクナム寺で修行した。光の玉を鼻から入れ、へその下まで降ろし、そこで輝くのをイメージする。それをしていると、やがて仏が見えてくる(観想)ようになる。
パクナム寺の故プラ・モンコン・テープムニー師が始めた瞑想法はタイ国内では一番信者が多く、レストランなどにも人物画像が掲げられている。光の玉が腹に入って光るようになるには、数カ月から1年くらいかかる。男性は鼻の左の穴から、女性は右の穴から入る。
朝は9時頃から約1時間の法話の後に約30分の瞑想があり、日に3回行われる。瞑想の基本的な姿勢は、胡坐をかいて座り右足を左足ふくらはぎの上に置き、左手のひらの上に、右手のひらを乗せ、目をつむる。クッションを使ってもよく、座り心地がよい体勢をとり、辛くなれば足を組み替えてもいい。私は腰が悪いで、壁に寄り掛かって瞑想することもあった。特に指導はなく、瞑想の間、堂内は暗くされ、眠っていても、日本のように警策で叩かれることはない。自分で瞑想を深めていくのが、テーラワーダのやり方だ。
私は2002年のパクナム寺での1年間の修行で、観想を数回体験した。そうすると、それまで見えなかったものが見えるようになる。臨死体験をした人が、周りのすべての存在が輝いて見えるようになるというのに近い。
――それで人生観や世界観が変わるのか。
確かに世界が違って見えるようになった。僧の場合は、出家することで家族や友人など、俗世のつながりは捨ててしまっている。それが瞑想を深めることで、何ものにも執着しない人生観に達する。
テーラワーダはかつて大乗仏教から小乗仏教と差別的に言われたが、人々の救済はやはり教えの基本にあり、自然から作った薬草を栽培して寺に来た人に配るなどをしている僧もいる。また、タイの仏教は伝統的な精霊信仰と習合しており、人々の願いを受けて祈祷を行うこともある。
タイには檀家制度はなく、一般の信者が対象なので、寺に魅力を感じなくなると、他の寺に移ってしまう。そのため、僧たちは修行して霊力を高めなければならず、僧になってからも真剣に修行していて、その成果は法話の内容や顔付きに現れるので、尊敬されるようになる。それに比べて、日本の僧は住職になると修行しなくなる傾向があり、檀家しか大事にしない。
――その後、タイ北部のチェンライに日本寺を開いたのは?
バンコクに比べて自然環境が素晴らしいから。退職後、瞑想と勉強の拠点として、チェンライに自坊のコテージを構えた。その後、家が日蓮宗だったので立正大学で日蓮宗の僧侶の資格を取り、2010年にチェンライに家を借りて宗派を超えた日本寺を開いた。寺は日タイ文化交流センターを兼ね、周りの子供たちにも日本文化を紹介している。
――日本に50年以上在住して布教していたミャンマーの老僧に、「日本の僧は戒律を守らないし、葬式とお墓で食べている」と批判されたことがある。
テーラワーダでは、戒律を破る僧の妻帯など考えられないことで、死後は他の生に転生するため、遺骨には何の価値もない。
――日本仏教がテーラワーダに学ぶべきことは?
自分のことをよく知り、自分を深めたいという人々の願いに応えるようにすべきだ。その一つの方法が瞑想で、日本では禅宗の坐禅だけが瞑想法のように思われているが、心理療法からきた内観法のように、自由なスタイルで瞑想する方法が広まってもいい。
テーラワーダに触れることは、釈迦の教えの原点に立ち返ることなので、大きな意味があるだろう。
テーラワーダとはパーリ語で「長老の教え」のこと。釈迦の没後約500年に生まれた大乗仏教が人々の救済を優先するのに対して、自己の悟りを求めることから、小さな乗り物を意味する小乗仏教と呼ばれてきたが、蔑称であるとして、現在では上座部仏教、あるいはテーラワーダ仏教と呼ばれている。釈迦の教えは紀元前3世紀頃、インドから今のスリランカに伝わり、そこから東南アジア一帯に広がった。釈迦時代に定められた戒律を守る出家僧とそれを支える在家信者により、現在まで初期仏教の伝統を伝えている。近年、悟りを目指す修行への関心が高まり、テーラワーダ仏教を学び出家する日本人も増えている。
宗教新聞: 2015年10月5日号